Life
Story

やまもとみつひろのライフストーリー

私のストーリーページにお越しいただいて、誠にありがとうございます。
私のこれまでの人生ストーリーは今の私を作った大切なものです。
かなり激動な人生を歩んできただろうなという自負があります。

今の私が、この在り方で、このお仕事をさせていただけるようになるのに、
これまでの人生は全て必要・必然の体験だったのだろうと思います。

できるだけ、包み隠さず、正直に綴っていこうと思います。

第1章 2度死にかけた幼少期

幼少期の体験、特に3歳までの体験が以降の人生に大きな影響を与えるというのはよく聞く話なのですが、
私の中で、微かに残っている記憶があります。それは入院をした体験です。
ここからは父親と母親から聞いた話なのですが、
2歳か3歳くらいのときに、体調を壊して、母が家の近くの病院につれていったところ
「風邪ですね」という診断を受けて、普通に薬をもらって帰ってきたのですが、
父親が「これは絶対危ないから大きい病院に連れて行く」ということで、大きな病院に連れて行ったところ、
「生死に関わる非常に危険な状態なので、すぐに入院させてください」と言われ、緊急入院しました。
「脱水症状」のかなりひどい状態だったようです。母親も初めての体験でしたでしょうから、
きっと判断がつかなかったのだろうと思います。
峠は超えて、入院することになったのですが、姉もいるので、父・母・姉は家に帰ります。
私はひとりぼっちを体験するのですが、家族が帰るときに発狂するほど泣き喚いたそうです。
その体験は数日間続いたそうです。

そして、無事に退院してまた平穏な日常に戻ったのですが、(どのくらい経過してからかはわからないのですが)
再び体調を崩し、家の近くの病院に行き、風邪と診断されたが、危ないからと父が大きい病院に行ったところ
脱水症状で緊急入院という全く同じ体験が訪れました。そのときも発狂するほど泣き喚いたそうです。

生命の危険と未体験の恐怖、寂しさという極限を体験することになった出来事だったのだろうと思います。

第2章 存分に自己表現をした小学校時代

幼少期は病弱でしたが、小学校に入ると元気いっぱいの手のかかる子供になっていました(笑)。
小学校時代が人生の中でも一番自己表現をしていたんじゃないかというくらい、表現をしていました。
何をしていたのかというと習い事をたくさんしていました。
ピークのときだと、野球、剣道、水泳、テニス、ブラスバンド、習字、塾と1週間全てが習い事。
野球では毎年主要なポジションと打順を任され、キャプテンも2度経験。
剣道はそのスクール内での大会で優勝、水泳も、テニスも学校内で1番。
ブラスバンドもトロンボーンのリーダー。
運動会でも6年連続リレーの選手で学校で一番足が速いという感じで、
思う存分、自分を表現し、毎日が楽しい日々でした。
野球の練習のときは練習時間よりかなり早く学校に行って一人で練習をしたり、
校庭開放のときも野球の練習をしていました。
もやは「練習」をしているという感覚はなく、遊んでいる、表現しているという感じでした。
当然ながら小学校ではすごく目立つ存在でした。

そんな至福の時間とは逆に、家庭での状況はあまりよろしくありませんでした。
父は生まれつき身体の弱い人で学校も休みがちだったそうです。大人になるにつれてその病弱さはなくなり、
バブル経済の中、それこそ遊ぶように楽しみながら仕事にのめり込んでいたそうです。
ですがバブルが崩壊し、さらに父も寝る間を惜しんで働いたツケなのか、病気になり、
毎日寝込んでしまうほど働けない身体の状態になってしまいました。
父と母の関係性がどんどん悪化していく感じがありましたし、大人になってから気づきましたが、
父と母が腕を組んで歩いたのを見たのはたったの1回だけで、愛を感じた場面は全く見られませんでした。

第3章 親の離婚からの大きな変化

ここも記憶が曖昧なのですが、小学校6年生のとき、母が家出をしたような記憶が残っていて、
ある時、習い事から帰ってきた時、姉が泣いていて、最初は状況がさっぱりわかりませんでしたが、
両親が離婚するということが決まったことが伝えられたのだという理解ができて、
私もつられて涙を流した記憶があります。
ですが僕は少し嬉しかったという気持ちもありました。
というのは、父は習い事をさせてもらったり、ゲームを買ってもらったりという点では
自由にさせてもらっていたのですが、いつも父に怒られるのではないかと父の様子を伺ったり、
何をするにも父のお伺いを立てていて、父の事が結構嫌いだったからです。
話の流れで、姉と僕は母が引き取るという形になっていて、住んでたマンションも出る手続きが進んでいて、
母と姉と3人で暮らすんだなと思っていたのですが、急展開が訪れました。
突然父が姉と僕を、車に誘導して、姉と僕を父の実家に連れていくという話になり、
何が何だかわからないまま、父の実家に行く事になりました。
一転、父が引き取って父の実家に暮らす事になったのです。

そして、父の実家はどういう家族構成かというと、
(私から見て)祖父・祖母、お父さんの弟・弟の奥さん・子供2人、という構成で、
そこに姉と私が加わるというかなり不思議な構成になりました。
しかも父の実家には小6までで1回しか帰省した事がなく、
全員疎遠の中で、どういう人のかもさっぱりわかりません。
そして、父も一緒に住むのかと思いきや、父は一人東京に戻り、
姉と僕だけが父の実家に残されるという形になりました。
父からすると弟家族への配慮だったのですが、私からするとすごく毎日気を使って、
迷惑をかけないようにする日々で、しかも東北地方で全然生活に慣れず、
小6の2学期から転校したのですが、東京から来た標準語をしゃべるやつということでいじめを受け、
どこにも心休まるところがありませんでした。

そして辛かったのは2つあり、1つは東京で習ってた習い事は全て辞める事になり、
転校してからは一切やらせてもらえなかったこと、
もう1つは東京ではスポーツ万能で、足の早さも一番で、目立つ存在だったのに、
田舎では私よりスポーツができて足が速い同級生が山ほどいたということです。
自信があり、生き甲斐だったスポーツでしたが一気に状況が変化してしまいました。

第4章 苦しみが絶えない中学・高校時代

中学校に入っても苦しみは続きました。
まず、部活をやりたいと申し出ましたが「学区内で一番トップの進学校に行き、
国立大学に行き、公務員になるために部活はやらせない」という父の方針で、
中学・高校と部活をやらせてもらえませんでした。
勉強をやれと言われるけれど、全くやる気がせず、毎日エネルギーが有り余っていて、
いつもスポーツゲームを夢中でやり続ける日々でした。
そして中学でも人間関係がうまくいかず、いじめにあいました。
仲が良かったクラスメイトの仲間から急に手のひら返したように無視されたり、汚いもの扱いされたり。
さらには全然絡みのなかった1つ上の学年の人からいきなり呼び出されて殴られたり。
今でもなぜ起こったのかよくわかりません。

そんな中、勉強はいつも上の下くらいで、
例年であれば、地域のトップ校に受かるのは相当難しいくらいの学力でしたが、
その年はなぜか倍率は1.04倍とかなり低く、運も味方して何とかトップの進学校に進学しました。

やっといじめとか辛い人間関係から卒業できると思っていたのですが、そこでもいじめにあいました。
最も衝撃的な出来事は高校2年生の時に起きました。
クラス替えがあり、新しいクラスメイトができ、仲良しの5、6人グループで遊んでいました。
普通にたわいもない話をしていたのですが、クラスの別の男子生徒が、
僕らが話をしている内容が、その生徒の悪口を言っているという風に解釈・誤解されたようで、
(一度も悪口を言ったことがないのですが)
そうその生徒が仲良しグループの一人一人をボコボコにするという状況になってしまい、
ついに僕の番が回ってきてしまい、
下校する際の自転車置き場で、肋骨が折れるくらいまでボコボコにされてしまいました。
保健室に行かざるを得ない状況だったので、行き、そこで先生に知られ、その生徒は休学扱いになりました。
その生徒が休学中もその生徒の他校の不良友達が、
私の家の前まで何度も来ていて、毎日怯えながら暮らしていました。
高校3年生になってクラス替えがあり、その生徒とはクラスは別々になりましたが、
毎日怖くて怖くて仕方なく、卒業式の時も追いかけられるんじゃないかと
恐怖を感じながら家に帰ったことを鮮明に覚えています。

やりたかった部活もできず、ゲームに明け暮れる毎日、
そして、いじめにあい、暴行を受け、家の中でも気をはって落ち着かない、非常に苦しい6年間でした。

第5章 開放感と絶望感の大学時代

苦しい6年間で何を一番願っていたかといえば、
父の実家を出て東京に戻り、父と別々の生活をすることでした。
6年間の閉塞感の反発のエネルギーから父親が反対しそうなことを色々やりました。
タバコを吸う、アルバイトをする、ピアスを開ける、髪を染める、夜遊びをする、バンドをやるetc
小学校の時の自己表現を取り戻すかのように大学生活を楽しみました。
大学進学後も父から「公務員になれ」という指示があり、
1年生の時に公務員対策講座のような授業を受けていましたが、
全く身に入らず、途中で投げ出してしまいました。
自分が将来やりたい!と言ったことに対して父は全て否定をしてきたこともあり、
就職活動時期になっても自分は何がしたいのかがさっぱりわかりませんでした。
最終的には金融系の企業2社から内定をもらい、
それとは別に大学のゼミの先生つながりで博報堂出身の方が設立した、
企業のブランディングを支援するベンチャー企業で大学4年生からアルバイトをし始め、
最終的にそこからも内定をもらい、その企業に就職することを決めました。
大学4年生の夏休みには前からずっと行きたかった海外に短期留学もすることができ、
なんだかんだで充実した形で卒業に近づいて行きました。

このまま卒業をするのかなと思っていた大学4年生の12月末に大きな出来事が起こります。
そのベンチャー企業の社長から
「何でお前はうちの会社に就職するという報告をゼミの先生にしてないんだ」
というお叱りの言葉をいただきました。
仰る通りで、なぜかゼミの先生への報告をいつかいつかと思いながらずっとできず躊躇していた矢先に起き、
最終的には「そんなやつはうちで働かなくていい」ということになり、
卒業間際の1月に就職先が決まっていない状態に戻ってしまいました。
人生で1回目の「社長から追放される」出来事です。

第6章 人生の大きな出発点となったNPOカタリバ

大学4年生の1月に内定先から追放になり、途方にくれていましたが、
私のことを受け入れてくれる組織がありました。
それは大学4年生の夏頃から活動に参加し始めたNPOカタリバ(現NPO法人カタリバ)というNPO団体です。
今ではNPOというとよく知られていて一般的になりましたが、
当時はまだ日本には浸透してなく、怪しい宗教団体と見られる時もありました。
NPOカタリバは大学生や社会人が高校に出向き、
先生たちの代わりに進路やキャリアの授業を行う団体で、今では日本有数のNPO法人ですが、
私が活動していた時は本当に創設期で、まだまだ受け入れてくれる高校が少ない状態でした。
このカタリバの活動は私の中で「失われた6年間」と言っていい、中学・高校時代の思いを埋めてくれる、
そして私が学生時代にできなかったことを若い子たちにはやってほしい
という願いを届けることができる本当に素敵な活動でした。
大学時代から大学の友達と卒業旅行も行かないと選択するくらいにのめり込み、
卒業後の4月からNPO職員として働き始めることになりました。
本当に刺激的な毎日で、休みがいらないくらいでした。
高校生と対話をしてその子の目の輝きがガラッと変わる瞬間に立ち会うのも嬉しかったですし、
ボランティアスタッフとして関わっている大学生もその活動の中で大きく変化していくことも、
そしてNPO団体を作り上げていっているという日々がすごく刺激的でした。
私が「人」に関わる活動をし始めるきっかけを与えてくれたのがカタリバでして、
この感謝の気持ちは人生でずっと続くと思います。

第7章 人間関係がうまくいかない会社員時代

カタリバでの活動を終え、一般企業に就職をしました。
一番最初に就職したのは総合人材企業インテリジェンスの
創業メンバーが立ち上げたベンチャーの人材サービス会社でした。
私が面接を受けている時、ちょうど新卒紹介事業を立ち上げるというタイミングで、
カタリバでの経験が活かせるということで、就職しました。
以降、インターネット広告の会社で人事、その会社の上海支社に海外赴任をし営業を経験。
転職して大手通信会社の子会社の人事を経験しました。
人間関係というのはもはや小学校から続く人生のテーマで、
この後もずっと続くのですが、どこの会社に行っても人間関係がいつもうまくいかず、
関係が破綻し、分断が起き、仕事がうまく回らないということを繰り返してました。
色んな要因が重なっていたと思います。
周りが見えなくなっていたということもあったと思いますし、接し方がきつかったり、
責めるエネルギーを向けてしまったり、逆に自分ひとりで抱え込んで被害者意識になっていたり。
インターネット広告の会社で人事ではチームの会議の時、
誰が問題かというのを話し合った時に、全員から「やまもとさん」と言われて、
自分では一生懸命やっていたつもりだったので、ショックを受け、
会社を数日休んでしまったこともありました。
大手通信会社の子会社の人事では認めてもらおうと頑張り続けましたが、認めてもらえず、
人事システムの構築を一人で担ってパンクしてしまい、めまいと吐き気が止まらなくなり、
疲労とストレスから来る「発作性頭位めまい症」ということで、2週間会社を休職したこともありました。

第8章 転換期。独立を目指すも挫折

会社の中での人間関係がうまくいかずになんとかしたいという思いと、
自分を変えたいという思いと、自分の興味があることは勉強熱心ということもあり、
会社員時代は色々な学びを積極的に受けに行ってました。
FFSという組織論の資格を取り、GCDFキャリアカウンセラーの資格を取り、CTIのコーチングを学び、
ファシリテーションを学び、キャンドル作りを学び、和のお香の調合を学び
etcと自らお金を貯めて学びに行ってました。
色んな学びを重ねていく中で出会ったのがIKEPONOというハワイの叡智を学ぶセミナーでした。
初めて日本で開催されるということで50人ほどの参加者がいました。
3日間×3回の講座の中で、ひたすら自分のことを見つめていく中で、
「会社を辞めるんだなー」という感覚が降りてきて、会社を辞める決断をします。
最初はそのIKEPONOの主催者と一緒にIKEPONOを日本で広めていくことをしようと思っていたのですが、
色々な変化があってそれはしないことになり、
その時ちょうど習っていた「和のお香」の調香師として活動しようと動き出しました。
しかし、それも全くうまくいかず、貯金がどんどんなくなっていき、
最終的には通帳残高が数千円というところにまでいき、不安から企業でのアルバイトを始め、
数ヶ月後にはまた人事の仕事がしたいと思い人事での転職活動を始め、
偶然にも京都にあるスマホアプリの会社が私の事を気に入ってくれて、
なんと人事の立ち上げ兼人事責任者として仕事を始める事になりました。

第9章 人事責任者として充実した日々から一転

京都は修学旅行で行ったきりだったので、新鮮な気持ちと緊張感がありましたが、
社員の皆さんも暖かくむかえてくれて、非常に良いスタートをきる事ができ、
また仕事も0から一つひとつ想いを込めて作り上げていくプロセスが楽しくて仕方ありませんでした。
新卒採用では、まずは楽しくやること、
そして説明会や面接にきてもらった際はリフレッシュして帰ってもらうことを大切にしました。
説明会はワークショップ形式にしたり、
選考会では「大喜利選考」やゲームをプレイして選考を行う「ゲーム選考」などを取り入れました。
そして人事評価制度を作る際は結果だけではなく、プロセスも大切し、
また評価シートを記入することで、自己内省や振り返りができる形を取り入れ、
「評価するされる」という堅苦しいものではなく、
そこからより仕事に打ち込んでもらえるような仕掛けを取り入れたりしていました。
ですが少しずつまた歯車が狂い始めます。
人事の全ての仕事を一人でこなしていたということもあり、
新卒採用のピークの時には仕事が回らなくなり、お休みの日にこっそり出勤したところから歯車が狂い、
仕事でのミスもあり、色んなところで社長とボタンのかけ違いが発生していきました。
僕自身が未熟なところも色々あったかなと思います。
最終的には会社を辞める事になってしまいました。
最高の組織を作りたいという気持ちを持って日々仕事に邁進していたので、
非常に残念な気持ちでした。

第10章 個人事業主へ。そして更なる挫折

会社をまた辞めたということが精神的にショックで、なかなか立ち直れない日々が続く中、
会社を辞めてから数ヶ月経った時にインターネットでたまたまwebデザインの職業訓練校を見つけ、
またデジハリオンラインスクールが応募していた夢、急募プロジェクトというのを見つけ、
両方とも応募したら、両方とも合格となり、
東京に帰って夏から2つのwebデザインの学校を同時並行で受けることになりました。
32歳にして初めてwebデザインというのをやりましたが、
元々備わっていたセンスの良さがあり、みるみるスキルが上達していきました。
そして、2015年の冬に学校を終了し、
3月2日に個人事業主登録をして、フリーランスとしての活動を始めました。
(※職業訓練校は学校終了後、社会保険が適用される事業所への就職が必要なので、
個人事業登録はしながらもとある事業所に就職して仕事もしていました)
そして、少し月日が流れた後、
東京のスマホアプリのベンチャー企業で人事コンサルティングを提供し始めました。
その企業でも最初は私自身の仕事ぶりがすごく評価されて順調なスタートを切ったのですが、
色々なプロセスの中で社長との関係性が悪くなり、
そこでのコンサルティングの提供も終了する事になってしまいました。
人生で3回も社長との関係性が思わしくなくなり、最終的に会社を去るという経験をしてきて、
ここまでの33年間で色々な学びを深めてきているのに何で不本意な現実が繰り返されるのか、
と自暴自棄になっていました。

第11章 パラダイムシフト〜内的変容へ〜

人事コンサルをしている途中からまた新たな学びがスタートしました。
合同会社CCCという会社のファシリテーター養成講座です。
「ファシリテーター養成」とありますが、会議のファシリテーターを養成する場ではありません。
CCCのホームページをお読みいただくと世界観が伝わると思いますが、
どんな現実も自分自身が作っているということで、これまで何度か聞いた事はありましたが、
腑には落ちてなく、ずっと僕は外側の問題を何とかしようとしたり、スキルを磨いたり、資格を取ったりして、
自分を変えようとしていたけれど、それでは本質的な変容は生まれないんだ、
内側が外側を作り出す、つまり自分の内側を見ていく、
自分が自分の人生をファシリテートしていくことなんだというのが体験から腑に落ちました。
またこれまでの人生の僕の行動の起点のほとんどが恐れ起点だったということが理解できました。
会社員時代、ずっと認められたい、価値があると思ってもらいたいと思っていましたが、
それは認められないことは恐れでそれは体験したくないというのが起点で
その恐れを避けるためにがむしゃらにやっていたということがわかりました。
色々な方のサポートもありCCCのファシリテーター養成講座プロコースを修了し、
その修了する少し前の2016年末から少しずつCCCと一緒にお仕事をさせてもらう形になりました。

第12章 内的変容の実感を高めた2年間

2016年4月までは東京に住んでいましたが、2016年5月から京都に再移住をしました。
最初は同じタイミングでCCCの学びを始めた京都の親友と一緒にNPO運営に関わるということだけを決めて、
収入源は特にないままの再移住だったのですが、
京都で人事をやってたときに採用活動で訪問させていただいたデザイン系の専門学校の方から
カウンセラーとして働いて欲しいというオファーをいただいて、
生徒一人ひとりとカウンセリングをするという仕事をいただくことになりました。
私の役割は、就職活動ができていない子や活動はしているけれど
なかなか内定が出ない子を面談して変化を生み出すということ。
僕のカウンセリングは通常のキャリアカウンセリングやコーチングとは少し異なり、
CCCで学ばせていただいたエッセンス・叡智を提供しながら関わりました。
生徒と1対1で話をしていくと、就職活動の話ではなく、
自然と親との関係や友達との関係、学校のことなど、普段話せないようなことを話してくれて、
そこがクリアになると生徒は勝手に就職活動に動き出して内定を取ってきたというのが続出しました。
また、何社も受けているが選考で不採用になっている生徒には、
エネルギーを入れ直しをしたり、ポートフォリオへのエネルギーを入れ直させたりした結果
すぐに内定が出たりと、就職活動のテクニックを伝えたということよりは
生徒のエネルギーを整えたことによって結果的に内定に繋がったという現実が生まれ、
1年半その仕事をさせていただいて述べ500人の生徒と面談をしましたが、
CCCで学ばせていただいた「内側が外側を創り出す」をまさに実体験で感じることができました。

また2017年はCCCと共催で講座を開催しました。通称「闇ジャーニー」と呼ばれる5ヶ月間の講座でした。
(正式名称:自分の内側にある真のパワーと出逢うクリエイティブジャーニー
この講座は、普段自分が見ないようにしている無自覚なもの、
闇に葬っているものを見にいくという実験を行った場で、
見ないようにするというのはかなり人生でエネルギーを浪費していて、
その未消化なものが消化に変わるとエネルギーを浪費する必要性がなくなり、
浪費していたエネルギーを望む現実に使うことができるというもので、
その講座を受講してくれた方々もかなり変容していったので、
闇に光を照らすというプロセスはとても大切なことなのだということを実感しました。

また現在提供している「じぶんエネルギー上昇セッション」の元となっている叡智を学び始め、
2017年から自分もそのセッションを受けさせてもらいつつ、
提供側とのしての学びも受けながら、自分のエネルギーを高めてきました。
2017年4月に初めてクライアント側としてセッションを受けさせてもらった時、
自分の生命エネルギーの数値が35%でした。ですが、今は90%台を常にキープする状態にまでなっていて、
身体のエネルギッシュ感が全然違うなというのを体感覚で実感しています。

そして、加美大輔さん、田村隼人さんのコンサルを受けさせてもらっているのもとても大きいです。
セッションを受けさせてもらいつつも、お二人のセッションの仕方、スタンスも学ばせていただいています。

さらに、CCCの由佐美加子さんのセッションや在り方も毎回学びが深いです。

以上のような体験を学生以外にも提供しようと、
大人向けに個人セッションを提供し始めるようになり、
継続セッションを申し込んでくれる人が現れてくれて、
僕は少しずつ自分が今世で果たす役割の輪郭が見えてきたように感じています。

第13章 現在の歩み〜変化の年〜

2017年の末から「自分は何者でこの人生で何を為すのか」というのが、
Sound Souls、占星術、算命学、四柱推命、動物占い、神様セッション etc色々テクノロジーの智慧も借りて、
そしてそのテクノロジーと内側のメンタルモデルやこれまでの人生体験から見え始めてきています。
日本語という限定された言葉というもので表現をすることが非常に難しいのですが、
少しずつ顕現してきているような気がします。
そんな流れの中で2つの場を開催する流れになりました。
1つは2017年に引き続き、CCCの由佐さんとポテンシャル・ジャーニー
(正式名称:魂のビジョンを生きるエネルギーを開くポテンシャル・ジャーニー)、
もう一つはSound Soulsを提供している宮田亮介さん夫妻とスタートしたGトレ(Genius training)です。
ポテンシャル・ジャーニーは5ヶ月間の講座で「魂が本当にこの世界で体験したいこと、
約束してきたこの人生のコミットメントを思い出していき、
元々ポテンシャルとして備わっているエネルギーやパワーを開き切っていく」プロセスを歩みます。
Gトレは一人ひとりの天才性を使命・才能・役割という観点から伝えて、
その天才性を発揮し、身につけていくトレーニングをする場です。
偶然にもこの2つの場が使命や役割、人生の目的などを見つめていく場になっていて、
提供側でありながらも自分自身の魂がこの道を進むことを願っているんだろうなというのを感じています。

さらに2017年から提供を開始した
SHINEエネルギーセッション」や「じぶんエネルギー上昇セッション」も多くの方にご体験いただき、
大きな気づきや変容のタイミングにご一緒させていただけることに感謝の気持ちが溢れてきます。
昨年と比べるとこの2つのセッションもかなりパワーアップしたように感じます。
さらに2018年からは新たに「エネルギーネイチャープログラム」の提供も始まり、
さらに皆様と一緒に本質に還る、自然に還る旅を歩めることを非常に嬉しく思っています。
色々なアプローチで、目に見えない「エネルギー」に着目をして、
一人ひとりが自分本来のエネルギー、つまり「nature energy(ネイチャーエネルギー)」に繋がり直し、
「nature energy」のまま生き切ることをサポートして参ります。