メッセージ

底を抜けた瞬間

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6月から8月上旬までの間で、
色々な人と話したり、SNSの投稿を見たりしている中で、
かなり自分の中で葛藤が起こっていたり、乱れてしまったりしている人が、
結構いたな、という印象を持っていた。

もしかしたら、自分がそういう状態だったから、
同じ状態になっている人が目に入ってたのかもしれないけど。

けれど、底を抜けた瞬間というのがあったので、
それをメモっておきたいと思います。

 

昨日の夜から今日の朝方まで、
とても大事な真剣な話をして、家に帰り、寝て
目は朝8時に覚めたけど、身体や胸のあたりの重さを感じたので、
そのまま横になっていて、
お風呂に入って緩んだ後でした。

 

「今、自分ができる状態にカスタマイズすればいいのだ」と降ってきました。

 

僕は自分がやろうとしていることがあり、
「100」くらいのボリュームでやろうと決めていたとします。
けれど、色々と状況が変わってきました。
変わってきたとしても「100」と決めていたので、
「100」でやるということしか考えられていませんでした。

 

他の「A」という仕事で今、かなりエネルギーを使っている最中、
「100」でやるということがとても大きくみえてしまっていて、
それによって「A」の仕事以外の「B」や「C」という仕事や取り組みも
(どんだけやってんねん、というのは一旦置いておいて笑)
やる気が湧かなくなってしまっていて、
色々なことができなくて「自分は何て能力が低いのか」と勝手な解釈をつけてしまっていました。

 

けれど、「100」じゃなくて自分が出来る状態に
(「50」なのか「60」なのかわからないけど)
してまずは進めたらいいじゃんって気づいたんです。

 

色々な人のニーズやその場の可能性を感じてくれている人が多いのは確かなので、
それを「50」であっても進められるということは、価値を提供できるということであり、
ボリュームが「50」であっても、それを実際やっている瞬間瞬間は「100」でやるので、
適当にやるということにはならない。

人はいつも「増やそう増やそう」「+にしようしよう」と「乗っける」ことをしますが、
もういいんだよ、乗っけなくて。
「減らすこと」「なくすこと」「しないようにすること」がむしろ大事だったりすることが
往々にしてある。

 

容器に水がいっぱい入っている状態ではなく、
半分入っている状態だと、容器の中で水が飛んだり跳ねたり自由に動ける幅が広がる。
それも楽しい。

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