6日間、京都に行ってきました。
前半は「ライターインレジデンス」への参加。
残りは前職の同僚にあったり、友人にあったりしていました。
その中で一番豊かな時間だったのが、「散歩の時間」
もうすぐ1歳になる男の子を持つお友達とその男の子をベビーカーに乗せて、
京都の街中を散歩しました。
その友達とはとても深い話ができる間柄で、
このくらい深い話ができる人はいないんじゃないかってくらいで、
とても感謝をしているのですが、
今日も深い話をしながら散歩をし、
川辺を歩き、川辺にあるベンチに座って、時間を過ごしました。
こんなにゆったり、そして長い時間散歩をしたのはいつぶりだろう。
京都いう街並みや雰囲気もこの散歩に作用してくれている。
そして、
何もしなくても、いや何もしないからこそ、
その瞬間に起こっていることが観察でき、眺めることができます。
川の水の上を優雅に流れる花びら。
上を見上げると、花の蜜を吸いに来た蝶々。
そして少し暖かい気温にさ〜っと流れる気持ちいい風。
さらには、自分の身体の中で起こっている変化にも気づくことができます。
「ちょっとモヤモヤした感じがあるな」とか。
「今、話の間があったことに、ちょっとハラハラしたな」とか。
何かをしようとしなくても、いま、ここで幸せを感じることができます。
幸せは何かをして得られるものではなく、何もしないでも既にあるものです。
そのゆったりの時間を経て、
僕は色々なことをつめこみすぎて、わかってはいるけれど、身体からのサインを無視して、
頑張りすぎちゃっているな、と気付きました。少し手放します。
何もしないことが怖いとか時間の無駄と思う人がいます。
これは逆で、何もしない中からクリエイティブが生まれ、結果時間が有効に使え、
勝手に何かが動き出すことになるんです。
何もしないのはとっても有意義な時間です。
そして大切なのは、「何もしない」ときはとことん何もしないようにすること。
何かが頭の中に残っている中で「何もしない」をとても休めた気がしません。
やらなきゃいけないことは放置してしっかり休む、これが大切ですね。
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