人間は誰しも本当は本当は本当はしたくないことでもしてしまうことがある。
誰かを怒ってしまったり、
誰かにいたずらをしてしまったり、
誰かを悲しませてしまったり、
誰かをシカトしてしまったり。
それらのことを
「自分はそういうことをしてしまう人間だ」という感じで、
ずっとそれらを持ち続けて生きることもできるし、
確かにそういうことをしてしまったけれど、それを持ち続けないでまた歩みを始めることもできる。
逆に言うと、「やられたほう」も同じで、
「あいつは悪いやつだ」
「あいつは最低だ」
「あいつは何度言っても変わらない」
「そういう性格だからねー」
と一度(または複数回)体験したことをそのまま持ち続けて、
そういう評価をしつづけ、そういう目で見続けることもできるし、
その人の可能性を信じきるという選択をすることもできる。
自分が世界をそう見ると決めると、世界はそのように見える。
同じ一つの事象でも、見る視点が違うと違くみえる。
こんなことを言っているけど、
僕もこれまで色々な人に迷惑をかけてきたと思う。
(全く反省しないということではなく)
過去にそういうことがあった、という事実だけを受け容れて、
持ち続けない、今の自分に影響を与え続けないという選択をする、
自分以外の人に対しても、「こんちくしょー」「バカヤロー」って思ったりしたこともあるけど、
それを持ち続けないという選択をする、
ということをここ数日の色々な体験を経て、
できている、とまでは行かないけど、今これを書いているときはそう思えている。
1秒でも長く信じ切ろうと思う。
自分を、そして、相手を。
そして本当は「自分とそれ以外」という分断されたものではなく、
全ては1つなので、「1つを信じきる」ということだと思う。
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