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屋号「ひかりゆとりゆたか」の由来

私が個人事業主として開業する際、どういう屋号にするかと眺めたときに、
「光裕」という名前が目に留まりました。

祖父が「光重」、父が「光昭」と続いて、つけていただいた名前です。
仏教用語で「名体不二(みょうたいふに)」(名体不離の場合もある)というのがあります。
「名(名号)と、その名によってあらわされる体(仏体)とは各別でなく、名を離れて体なく、体を離れて名なく、両者の関係が不離であること。」ということを指しています。
(参照元はこちら

「名は体を表す」という言葉の由来となったものです。

それぞれの漢字の語源、成り立ちを調べてみました。

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「光(ひかり)」という漢字は、
人間を意味する「ひとあし」の上に、三本の線を描いた文字。
この線は、燃える「火」をあらわしています。
あちこちに火の粉が散らばっている形にも見えます。

「光」という字は、人が頭の上に火を掲げている姿。

今からおよそ三千年以上前のこと。
いにしえの人々は、自然の中に宿る神々をうやまい、おそれ、
彼らとともに生きることを最も大切にしていました。
やがて、稲作が始まると暮らしのサイクルも安定し、
神々に働きかけながら、自然とうまく共存しはじめます。
折にふれて神を喜ばせ、
共に遊ぶための儀式を行うようになった人々。
そのために、「火」は欠かせないものでした。
なぜなら、神は、夜の闇にまぎれてやってくるからです。

「光」は、神が舞い降りる場所をしめす、導きのあかり。
頭上に高く掲げられた火は、
神と出会うために集まってくる人々の足元を照らす、
道しるべでもあったのです。

かつて、火の粉や熱さをものともせずに、
人が頭の上に掲げていた火。
それは、神々を導く神聖な「光」であり、
人々の足元を照らし、安心感を連れてくるものでした。
感じて、漢字の世界
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人の頭の上に火の光を書き、神聖な(神のように尊い)火を強調してみせている字です。
古代の人びとにとって火は非常に神聖なものでしたから、火を守って神に仕える人がいました。
光の字はそのような火を扱う聖職者を示しています。

のち火の「ひかり」そのものを光といい、光を出して美しく見えることから「かがやく」の意味となり、
その意味を人に使って「ほまれ」(よい評判。名誉)という意味にも使います。
親子で学ぼう!漢字の成り立ち
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光という漢字、元々は
( 炗 炛 灮 )と書かれます。
火という漢字が使われているのがポイントです。
これは、人の頭の上に火のついたたいまつを乗せた姿を表すそうです。
ここでは四方に発散するの意を示します。

つまり、光とは火の明かりのことを指していたようです。
火とは、温かみであり道標でもあります。
四方に広がる光は周囲を明るく照らします。
それは発信する光であり、ここにあるという印にもなります。

灮とは、火と人を指した字です。
自らが率先して行動することで自ら燃え盛り、周囲を温かく照らし勇気づける存在となることを指します。

つまり、光という漢字が名前に付く人は、
自らの力で自身の火を燃やし、周囲を明るく照らし 行く道を照らす先導者となる。
という意味を作ります。
内なる火を燃やす行為は周囲に勇気と行動力を与えます。

また、四方に発散される光は、まさに分け隔てなく人を平等に扱う心の優しさにも繋がります。
今から出来る名前の意味付け 名前・漢字の隠れた魅力
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衤(きもの)と谷(くぼんですきまのあいた穴)をあわせた字。
衣服がゆったりしていてゆとりがあること。
ものがあり余っている。
心がひろいという意味もあります。
衣とは、身にまとうもの、つまり気質や性質のこと。
その人なりの雰囲気ということです。
また、包み込むという包容力のこと。
つまり温かな雰囲気を指します。

谷とは、水が穴から流れ出るようすを指した字。
谷とは水源になるくぼみであること。
谷とはⅤの字のごとく、落ちた後昇る形をしています。

つまり、裕という漢字が名前に着く人は、
自らの豊富な資質をもとに周囲を温かく包み込み
落ち込んだものを再び持ち上がらせる力を持つ
裕という漢字には
身に降りかかる辛さを自らの心の泉に溜めこみ、
もう一度昇りだす力として溜めておく力に優れている
と、このように捉える事ができます。
今から出来る名前の意味付け 名前・漢字の隠れた魅力
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『裕(ユウ)』yùは、ゆったりした衣服を表す形声文字です。
漢字の足し算では、衤(衣服)+谷(満たす)=裕(ゆったりした衣服。ゆとりがある)です。
漢字の部首は『衤・ころもへん』、意味は『余裕がある』、『豊かである』、『ゆとりがある』です。
風船あられの漢字ブログ
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この字の最も古い意味を辿ると「ゆったりと受け入れる」「受け入れる余地がたっぷりある」という解釈に行きつきます。
「裕」の字は「ころもへん(衣)」と「谷」で成り立ちます。
この内、時の大元になっているのは「谷」です。
谷は穴・くぼみが更に広まったものと捉えられます。これがあらゆるものを「ゆったりと受け入れる」というイメージへと変化しました。
そこに「衣」という文字が組み合わさり「衣が広くてゆったりしている情景」となるのですが、古い時代には衣食住が揃っていることは大きな幸せとされていたと考えられています。
そこから『物質的、または心理的にゆとりがある』という意味にも転用される様になったのです。
(参照元はこちら。)
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「裕」は「裕福」と使われるように「豊か、満ち足りている」の意味をもつ漢字です。
この由来には諸説ありますが、どの説もツクリの「谷」が深く関係しています。

「谷」は「渓谷」と使われるように「大きな溝、くぼみ」の意味があります。
「衤(ころもへん)」は「衣服」を表すので、組み合わせると「大きな衣服→ゆったりとして余裕のある衣服」となり、ゆとりがある様子からの連想で「豊か」という意味が生まれました。

ちなみに、別の説では「谷」を別のものに解釈します。
「口」は神様へのお祈りに使う器で、その上の点などは「(祈りが通じて)神様の気が現れること」を表現しているといわれます。
これを「衤」と合わせて「衣装の上に神様の気が感じられること」の意味になり、そこから「やすらかな衣服→おだやかでゆとりがある→豊か」の意味をもつようになったとされます。
一期一名
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「裕」という漢字はころもへん(衤)に「谷」という字を書きます。

ころもへんは、和服の襟元を合わせた形を描いた象形文字です。
古代中国において「衣」は、霊が依りつくもの。
例えば、生まれたばかりの赤ん坊に着せる衣には、
その子を守るために、祖先の霊を乗り移らせたといわれています。

一方の「谷(たに・コク)」という字も象形文字。
谷の入り口の様子を描いたもので、
上半分の「八」という漢数字と屋根のような部分が、
谷を囲む山脈(やまなみ)の重なる様子を表しているといいます。

また、この「八」の字を、山の水が流れる様子と見る説もあります。
その下の「口」は、空の箱のような形で谷の窪地を表し、
山からの水を受け入れる場所、
つまりは湖などのことをさすのでしょう。

ころもへんは、私たちの心をなぐさめるよい霊が依りついたもの。
「谷」は、山の清らかな水をたたえた場所。
そのふたつの文字を合わせた漢字「裕」は、
「ゆとりのある」「ゆたかに満たされた」
という意味をもつようになりました。

また、いにしえの人々にとっての幸せの基準は、
「衣・食・住」それぞれが満ち足りているか、ということ。
綿を入れたり丈を長くしたり、重ね着をしたり。
衣服に手をかけられる、
ということは「ゆたか」であることのしるしなのです。

山の頂きから見下ろす、冬晴れの谷間。
清流の音が、遠く絶え間なく聞こえてきます。
水は、澄みきった鏡のごとき湖へと流れこみ、
風は水面にさざ波を残し、天空へと帰って光輝いています。
その谷は、神々が好んで舞い降りる場所。
いつでも心地よい「気」に満ちあふれ、
そこにたたずむ者を、やさしく包み込むのです。
感じて、漢字の世界
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「光」は「ひかり」 「裕」は「ゆとり」「ゆたか」という読み方をします。
ひかり(光)の意味としては「人の心を明るくはればれとさせることやもの」「輝くばかりの美しさ」「栄えあるもの」という意味があります。
ゆとりは、「物事に余裕があって窮屈でないこと」
ゆたかは、「心や態度に余裕があって、落ち着いているさま」
という意味があります。

そして「ひかりゆとりゆたか」という音の並びと韻・響きがしっくりきたので、この屋号にしました。

「八百万の神」、森羅万象・自然万物に神様が宿るという日本古来からの考え方があります。
この2つの漢字にも神聖さが含まれています。
そのような質感も大切にしてこれからもお一人お一人との時間・空間を重ねて参ります。

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